目次
1.家、ついて行っていいですか?
終電や買い物客の支払いをする素人密着バラエティー番組なのですが、8月26日に放送された内容に涙が止まらなかった。
今回は、日本最大級の手作り品市場である「ヨコハマハンドメイドマルシェ」に潜入ていました。
プログラマーの戸次(べっき)さんに声をかけ、お買い物の代金を支払う代わりに家を見せてもらえないか交渉したところ承諾していただけたのです。
自宅に入ると、戸次さん手作りの食器棚やゼリー、味噌、お菓子、裁縫類などが披露されました。
そんな中、キッチンには多くの食器が置いてあったのです。
独身かと思っていたのですが、理由を聞いたところ「妻がいたので。」とのこと。
もう過去形の時点で切なくなりました。
引用:ライブドアニュース
2.乳がんで妻を亡くしたプログラマー
戸次さんは、3年半前の27歳の時に乳がんが見つかり、亡くなった。お話しされています。
18歳の時に100円ショップのバイト先で奥さんと出会い、その際の彼女の第一印象は愛想がなく、男に媚びない感じだそうで、芯の強さに惚れたそうです。
戸次さんが料理や裁縫などが趣味で、女子力高めであったため、ボーイッシュな奥さんと惹かれあったのだろう振り返っています。
また、結婚は25歳の時には、6年ほど付き合っていたため、相手から「もう結婚しない?」と言われ「それいいね」と同意したそうです。
芯の強い奥さんにプロポーズされたみたいですね!
実は戸次さんの旧姓は「宮尾」とのことで、奥さんの苗字になっているのだが、その理由は「じゃんけんで負けたから」だそうです!
凄い軽い感じで苗字決められたのですね!
しかし、結婚しようとした時に、奥さんには胸のしこりがあり、手術で腫瘍を取って、調べてみるとステージ2のがんだったとのことです。
抗がん剤や放射線治療を行って問題なかったようですが、26歳の時に再発し、肺や肝臓に転移が確認され、余命1年と宣告されました。
しばらくは黙っていたものの、亡くなる10か月前に、会社を2か月休んで2人で旅行ににいったそうです。
奥さんへは、仕事を休む前に余命のことを伝えたのだそうです。
やはり、本人には伝えづらかったのでしょう。
自分の胸のうちで留めておくだけでも押しつぶされそうな気持になりますね。
しかし、当時の彼女の日記には「私はやりたいことをやって死ねるのだから、なんて恵まれているんだろう」と書かれており、戸次さんは「話して良かった」と振り返っていました。
今では、当時の経験を活かし、ピンクリボン運動に参加したり乳がんについて正しい知識を広めるために活動したりしているとのことです。
参考
ライブドアニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/16988913/
魔法のiランドちゃまの日記
https://s.maho.jp/book/df7f3fhe9237f78f/5482557001/
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